シネマで死ねない

語ることについて語るときに僕の語ること

レゴブロックと芸術の話

言葉はレゴブロックみたいなものらしい。

本当は丸を意味したくても、レゴブロックを使うとカクカクとしか表現できない。

それをなんとかして丸に見立てる。でもひょっとしたら他の人からは丸ではない違うものに見えているかもしれない。

 

昔から言葉至上主義で、言葉の呪いにかかっていた。言葉で全てを表現できると考えながらも言葉では限界があるとわかっていた。それに苦しんで、言葉にばかり一生懸命になってしまってnon-verbalなコミュニケーションを軽視していただからコミュニケーションにやる気がなくなったと感じていたのだと思う。

自分は言葉遊びが大好きで群盲象を評すじゃないけど、同じ事をどんどん言い換えて違う角度から見て表現してっていうことに楽しさを感じている。それがいつの間にか言葉への盲信に変わってしまっていた。昨日、ある人に言葉はレゴブロックと言われすごくすっとした。うまく使えるようになりたい。

そんな言葉に縛られないようにしたい、という気持ちを言葉でしか表現できないのはなんだか物悲しい。

音楽とか絵とかそういうので表現できることに憧れる。なんとなくだけど、音楽とか絵とかはレゴブロックを使わずにそのまま丸を描ける手段な気がしている、これも過信かもしれないけど。芸術はそれそのものも美しいけれど、そこに人がいるからこそ美しい。人と人との間にありながら、片方の思考や感情を直接的に伝えられる気がするから人間は芸術に惹かれるのだと思う。