シネマで死ねない

語ることについて語るときに僕の語ること

氷の上炎天下を知る -富士山に登ろうとした話-

人生に何を求めるか?ということについて少しお話したい。

人生に何を求めるか?というのは自分の人生なのに変な表現ですので、少し言い方を換えて、自分に何を求めるか?としてみます。これもまた変です。というか違和感です。

たぶん自分がしたい話を他の人にするには「どう生きたいか?」を考えているんだと伝えたほうが分かりやすいんだろうけど、自分が今からする話は目的ではなくて、手段の話だから、やっぱり自分としては「何を求めるか?」という表現の方がしっくりくる。感覚の問題に過ぎないんだけど、きっと。そして何よりも厄介なのは、手段がはっきりしているが目的がそこにないということだ。とにかく、自分でもよく分かっていないことを文章にしてみようとしているのが最近の自分だ。

 

とりあえず最初に出した、人生に何を求めるか?という質問に対する自分なりの答えは

本物に触れること

だと思う。本物に触れるために富士山に登ろうとした話をしようと思う。

 

なんで富士山か、とかそういう理由はなくて別に滝に撃たれに行っても良かったんだけど、それは去年やったし、今回は富士山かなと。たまたま友達誘ったら乗ってきたので山開きの日に登ってきた。

準備不足で凍えながら、励まされながら、靴が解体していくのを感じながらなんとか八合目の宿まで登る。とにかくアホみたいに寒かった。あんなに美味しい日本酒はいままで飲んだことがなかった。

仮眠を摂って更に上へと登ろうとする。しかし、登れない。どうやら風と雨が強すぎるらしい。すこしだけの安堵感と悔しさと大きな疲労感でまた眠りに就く。ご来光は結局眺めていない。ユニクロのパーカーで富士山に挑むのは無謀すぎたのだ。

そもそもは日本最高峰の山頂で眺める朝日は本物だったかもしれない、達成感もきっと大きかっただろう。しかし、自分が感じたものもまた本物の富士山である。中途半端な感じがまったく自分らしいと思いながら、中途半端な本物に本物を感じている。

完成された綺麗な本物に出会ってしまうときっと満足してしまうので、これはこれでまあ。

 

ただ今度登るときは、ちゃんと基本装備とチョコチップクッキーを持って行こう。これだけは確実だ。筋肉痛は本当にキツイものだったから。