シネマで死ねない

語ることについて語るときに僕の語ること

記憶、記録、そしてライフログへの憧憬

 

先日クリストファー・ノーラン監督作「メメント」を見た。

中学くらいの頃NHKの語学番組のテキストの後ろの方に載ってた、大阪者はたこ焼きの夢をみるか(こんなタイトルだったという記憶だけど正しいかどうかは定かで無い。今思えばブレードランナーへのオマージュだ)とかいう映画コラムで紹介されてて、面白そうだなって思ってた記憶がある。それを最近TSUTAYAで発見して、借りてきたらなんとあの「インセプション」と同じ監督で、これは期待出来そうだということで試験前なのに観てた。一通り見たあとにこんなに面白い撮り方があるのかと感動して、続けて時系列に沿って編集しなおしたの観たらだいぶ話が分かったりした、そんなメメントを観て考えた記憶と記録の話。

 

 

メメントの主人公レナードは前向性健忘で、まあそこまでとは言わないけど誰しもどんどんいろんなことを忘れていく。忘れたいこともたくさんあるけど、日々の細々した考えなんかは実は忘れたくなかったりする。だからライフログを残す。4sqで行動を残し、twitterで日々の思いつき、フレーズを残し、FBで写真を残す。まだまだ残し足りない。

記憶は(事実ではなく)解釈に過ぎない、かもしれないけどその時々にせっかく思ったことやったことが消えていくのは非常に残念である。しかも消えていってしまうことで自分というものがぼやけてきたりする。昨日も夜中にふと、今こうして大学生活を送っている自分は幻想なんじゃないか、あの時大学入試を受けた気がしているけどそこも込みで頭の中にしか存在しない出来事なんじゃないだろうか、と思った。自分の過去の出来事・考えなどが確かに存在したと完全に証明することは出来ない。そんな不安定さの中で何とか基盤を作ろう、記録に残そうとライフログを作る。でももちろんのことながら全部は書ききれないし、話しきれない。こんなことを考えているといつも中二階という小説を思い出す。これはログの中でも至高である。なんせエスカレーターで中二階に上がる間の描写だけで一冊の本になってるのだから!これくらい執念深く記録をつけたい。そうでもしないとこの生きていることに対するふわふわ感を拭い切れないと思うからである。

 

メメント [DVD] 中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 そういえば先にあげたコラムのテーマは「記憶」で同時に紹介されてたトータルリコールがリメイクされてますね。