イワズキカザル
図らずも前回の文章がひぐれ先輩(@HIGUREさん)のおかげでTumblrを中心にそこそこの反応を得た。
よくわからないけど、もう文章なんて書けるか状態である。
ずっと書きたいことはいろいろとあったのになかなか文章をまとめて書くことが出来ずにいた。そういう感じ。
自分に限った話を主観だけで考えていく。
まずは受信の話。
情報過多の時代らしい。よくわかんないけどそうらしい。
というかいまさら情報過多とか何言っちゃってんのって思うんだけどまあそれは置いといて。
一日中インフォバーかレツノかでtwitterとかfacebookとかまとめサイトとか開いてるし
ネット環境が電話回線でパケ放題でもなかった高校時代と比べると今はかなり情報源に触れてるのかな。
スマフォいじったりとかキーボード打ち込んだりとかそういう物理的な面でもそうかもしれない。
一部の情報源に触れる時間は増えたわけだけどそれまでと比べると
テレビ見ないし、ラジオも聞かないし、新聞読まないし、雑誌も本も読まないし、授業とかも聞いてられないし
何よりも自分の中に情報が溜まっていく感じがまったくない。
年齢とともに記憶力が云々ってのも多少あるかも知れないけど、触れてる情報が増えてるのに本当に自分の中に残らなくなってしまってきた。悲しい。
情報に触れているのに、受容はしていない。
twitterとかFBとか見ててもたまにつまんないと思いながらただ流れるのを何度も何度も確認していたりする。
他に何かしなければならないことがあるときに限ってそういう状態に陥る。
tweetするのすら面倒くさい、そういう感じ。
今度は発信の話。
自分自身(@maricar9710)はtweet数は一般的に見たらかなり多いほうなんだけど、自分では発信している気は全くない。
有益な情報がないとかそういう判断基準でなくて、フォロワーいるけど彼らに対して何も反応を求めていない。
むしろリプされるとぎょっとする時すらある。自分からリプライすることは滅多にない。
たまに自分からリプを飛ばす時だって
決まり文句で定型化されたけまいやりとりをしているだけで、内容なんてない。
そんな中でただ自分の感情を、思ったこと、思いついたフレーズを打ち込んでいる。
高校の頃完全なかまってちゃんブログやってた頃はいつも無駄に孤独を気取って誰にも思ったこと言えないとか考えてたし、
だからこそ携帯で読みづらいと言われるようなブログを1日に4件くらい更新できてたのかなとか思う。
今はこうやってまとまった何かを書こうとすると一苦労である。
そして言いたいことがなんなのかわからなくなってきたしまとまらないしそろそろ強制終了したい。
ではでは。
あんまり関係ないけどこれって実際どうなのかなーと思った。自分はmixi辞めちゃったからアレだけど。
http://www.mobile-research.jp/investigation/research_date_111114.html
より
“ブログやSNSを活用している人が、実際に自分にかかわるどのような情報をネット上に掲載しているのかについて、個人情報に関するもの、感情、情報の内容にわけてたずねた。
(中略)感情の表出についてみると、フェイスブックでの公開はどれも最も低いとの結果を得た(図表5)。「自分がうれしかったことについて」については友人への公開が最多で、ミクシィへの公開が僅差で続いている。また、「自分がじまんしたいことについて」「自分が悲しかったことについて」は、フェイスブック以外はいずれも50%台が公開するとしている。また、「自分が感じたさびしさや孤独感について」は、ブログ・ツイッター・ミクシィへの公開が家族への公開を上回る結果となっていた。「自分の弱みやなやみについて」は友人、家族、ブログへの公開の順で高く、フェイスブックへの公開は17.5%と低かった。
情報の内容についてみると、ここでもフェイスブックでの公開が他と比べて少なかった(図表6)。ブログやツイッター、ミクシィでの公開が多かったのは「日常生活」「趣味や得意なこと、関心事や習慣について」「自分の感情や思ったことについて」となっている。「収入や資産状況、家計」「宗教」「政治」「生い立ち」といったセンシティブな情報については、家族や友人には公開するものの、ネット上で公開する割合は高くない。ただし、「異性関係や性」「健康状態や病気」については、自分が情報公開することで有用な情報がフィードバックされることも想定されてか、センシティブな情報であることを考慮してもある程度公開されている実態がみてとれた。”
ミクシやめた話とか春休みのこととかこれからのこととかいろいろ書きたい。