シネマで死ねない

語ることについて語るときに僕の語ること

タイムマシンの話

普段とちょっとちがった生活をしてみる

ことについて考えてたんだけど、普段の生活っていうものがあまり自分にはないことに気がついたまりかーです。日常生活を非日常化することが目標だし、ある程度達成されている。

今日は近所で日常生活っぽい、でも全然日常じゃないことをたくさんしました。

 

 

たとえばマンションの屋上から街を眺めたり

たとえば行ったことのなかった図書館に行ったり

たとえば普段は入らない電器店に行ったり。

なんだかインプットに限界をすぐに感じてしまってしょぼいとおもったら、なんのことはないただの寝不足だったまりかーです。カメラめっちょほしい!

 

さてさてそんな逸脱した日常(違和感しかないけど他に表現上手くできない)の中で、たまに過去のこととか未来のことに思いを馳せるきっかけとなるものが転がっています。

今日だったら、洗足池っていう場所がそうだったり、図書館カードだったり、あとは本だったり。

大学入ったばっかりの頃に何度か来たなーとか、クラスの頼りにしてた子にあそこの図書館いいよって教えてもらったり。

カードについては先のエントリーで書いたとおり。

本については、これはなんか二通り気づいたんだけど、

①フィクションの時間と自分の時間をつなぐ

②読んでいる間の自分をつなぐ

という機能があるなーと。

①自分の生きている現実的な時間から、たとえば存在しない誰かの物語、またはかつて存在した誰かの物語へと時間を繋いでくれる。

 ②本を読むのを中断して閉じてしまっても、本の中の物語の時間は止まっているわけであって、読み出したらまた動き出す。本の中の物語が自分が読むのを中断したときと、読み始めた時を繋ぐタイムマシン。

または過去に読んだ本を再び読むことがreminderになってくれる。 そんなタイムマシンに今日はたくさん乗れて、すっごく疲れたけど、どうでもいい些細な忘れてたこと思い出せてすっごくいとおしい。図書館の本棚の間で、一生が短過ぎてすべての本を読むことが出来ないことを嘆くより、過去へ逃避したい。作家の棚を「あ」から漁りながら、赤川次郎にははまらなかった、あさのあつこはサイン会にいった.....なんて思い返すのたのしかった。